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日々是味方

「見方を変えれば味方に変わる!」
日々の生活の何気ないことから学べることは沢山あります。
それは一見ちょっとしたことであっても自分自身のアンテナに引っかかるかどうかではないでしょうか?
 日々生活する中での気づきや思いについて、時に熱く語ります。

私の邪魔をするな。


特に嫌なことが起きたとき。

何の条件もなかったらどうだったらいいのか、実現しようがしまいが

自分に聞いてノートに書くようにしている。

“あぁ本当は私はこうしたいんだ”と確認するだけなのにホッとする。

前にも書いたが、会社員時代にコーチに「どうしたい?」と質問をされても

“叶わないのに言っても悲しくなるだけ”と思って答えられなかったのに。

 

色んな部署から異なる考えや都合を言われる立場だった。

少しでも早く進ませて、万が一のための余裕が欲しい。

揉める時間も勿体ない。穏便に周りが納得する結論を選びたい。

一人でも異なる意見を減らしたいから、自分の考えは湧かないように無になり、

集まった意見に誰がなんと言うだろうかと頭の中で想像しながら議論を尽くす。

“私はさておき、どうする?”それが心の中の口癖だった。

出した結論に一人でもちょっと不満を漏らそうものなら恐ろしく動揺し

その人が納得するための手段を考え、心身ともに休まらない。

自分を抑えることがオートマチックになってきた頃、

私の純粋な意思が段々出てこなくなっていった。

 

会社や忙しい仕事が原因ではなく、きっかけに過ぎないと今は言える。

子供の頃、両親が離婚することになり、母が父の実家へ私を連れて行った。

私が遊び疲れて眠り、目覚めたときにもう母は居なかった。

全く記憶はないがそれから私はひと言も母のことは口にしなかったらしい。

その後、父が再婚し弟もでき、慣れない家庭で穏便に生活するためには

極力話さず空気のように生活する、というのが幼い私が思いついた方法だった。

 

“それ言ったら嫌われるよ、それやったら居場所無くなるよ”

幼い頃のお守りの言葉を握りしめたまま大人になった私は

両親を会社や親しい人に代え、

不穏な空気を察すると自分が原因だと思い込み、

さらに自分を抑え、孤独になるように現実を引き起こしていた。

 

ある時、仕事中に私の身体の中から「私の邪魔をするな」と聞こえる。

男性のようなゆっくりと低い声で、強くて怖い。心臓がバクバクする。

顔を上げて周りを見渡しても誰も聞こえていない様子。

一回きりの不思議な出来事だったが

ずっと抑え込んできた私が私に怒っているように思えてきた。

産まれて数年後からこんな感じで、自分を大切にしてこなかったもんね。

 

それから少しずつ我に返りはじめ、また戻ったりしながら

嬉しい、悲しい、怒り・・・感情・感覚が蘇ってくることになる。

美味しいものを食べても、素敵なモノを手に入れても、

それを感じる心がなければ全く無意味であることや

両親や会社、親しい人がどう思うかだけを基準に生きてきたことにも気づいた。

誰が何と言おうが、非常識だろうが、自分の本当の気持ちを知ること。

それが私の本当の、一番の喜びだ。

 

 

でもまだまだあのお守りの言葉が発動することがある。

人生百年といえどももうそんなに時間は無い。

一生私として添い遂げ “私に生まれて本当に嬉しかった”と天に召されるときに思いたい。

それが私の目標。

 

(書き手 ジャスミン)