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日々是味方
「見方を変えれば味方に変わる!」
日々の生活の何気ないことから学べることは沢山あります。
それは一見ちょっとしたことであっても自分自身のアンテナに引っかかるかどうかではないでしょうか?
日々生活する中での気づきや思いについて、時に熱く語ります。
「ばーちゃんに感謝」
急いで病院へ
5月29日、ばーちゃんが亡くなりました。
早いもので今日が初七日でした。
28日に入院先の病院の先生に「覚悟をしておいて」と言われたものの、まさかのその翌日に亡くなってしまうのは予想だにしていませんでした。
29日は資格の講習があって、さてこれから出ようというときに父から電話。
「病院から電話があってもう危ないらしい。病院行けるか?」とのこと。
資格の講習も大事ですがそんな場合じゃない、とにかく急いで病院に行かねば・・・。
妹や母とも連絡をとり講習のキャンセル連絡などもしながら、急ぎ準備をして病院へ。
こんなときこそ事故にあっては大変と、いつも以上に安全運転を心がけ病院へ。
今はコロナ対策でお見舞いもなかなかできない中、警備の方に話して、体温チェック。
そこをパスしてから3Fの病棟へ向かいます。
看護師さんに親族であることを伝えると、簡易防護服などを貰い、病室へ。
実に1年半以上ぶりの再会でした。
間に合った!?
部屋に入ると、呼吸器をつけたばーちゃんがいましたが目をつぶっています。
声をかけても全く反応しません。
看護婦さんから30分ほど前に息を引き取ったと言われ、そこで初めてばーちゃんがもう亡くなってしまったことに気が付きました。
急いだものの、最後には間に合わずでした。
2年ほど前にご飯が食べられなくなって入院生活となってからコロナの前には定期的にお見舞いに行っていたのですが、コロナ禍では感染予防の観点からお見舞いも禁止されており、ようやく会えたと思った矢先・・・。
1年半ほど前に会ったときには、認知症も進んでいて会話もままならず、僕が孫かどうかも分かっていたのかも定かではなかったのですが、それが生きていたばーちゃんを見た最後になってしまいました。
ばーちゃんと僕
ばーちゃんにとって僕は初孫で、とても可愛がってもらいました。
そんなこともあってか、僕は自他ともに認めるばーちゃん子。
体格のいい人だったので、ふくよかな人が好きなのはきっとばーちゃんの影響だと思います。
同居はしていなかったのですが、学生時代は長期休みにはばーちゃんのところに行って過ごしたりしていたことを思い出します。
じーちゃんが亡くなってから札幌に引っ越してきたときはもう社会人だったので学生時代のようには行けませんでしたが、入院する前は週2の休みのうちどちらかはばーちゃんのところに顔を出していました。
僕は自分のことがあんまり好きなタイプではないのですが、自己肯定感がそんな高くないながらも自分を嫌わずにいられたのはばーちゃん(だけではもちろんないでしょうが)から無条件の肯定的な態度で愛情たっぷりに幼少期から接してもらえたからこそだと思っています。
立派な格言などを貰った記憶はないのですが、本当に深い愛情で接してもらえ感謝しかありません。
やってあげたかったことを上げればキリがないですし、どれだけ後悔しても今となってはどうにもできません。
立派な社会人として頑張ることがばーちゃんの供養にもなると信じて、これからも仕事など頑張っていこうと思っています!
生まれ変わってもまたばーちゃんの孫でいたいと思わせてくれる人でした。
ばーちゃん、本当にありがとう。ゆっくり休んでね。
(書き手 枝町旭展)