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日々是味方

「見方を変えれば味方に変わる!」
日々の生活の何気ないことから学べることは沢山あります。
それは一見ちょっとしたことであっても自分自身のアンテナに引っかかるかどうかではないでしょうか?
 日々生活する中での気づきや思いについて、時に熱く語ります。

私の分身。


母の日・父の日で思い出す痛い記憶。

 

結婚して何年経ったとき

義理の両親の家でひょんな話から衝撃の事実を知った。

 

結婚してからの贈り物は全部自分の息子、私の結婚相手)単独で

贈られていると思っていた、というのだ。

声を荒げることはなかったが

どうしてそう思ったの?みたいなことを聞いたら

「だって送り主に〇〇〇の名前しか書いてなかったじゃない」と義母。

 

母の日、父の日、それぞれの誕生日、

おばあちゃんの誕生日、義妹の誕生日、

それから義妹はピアノをやっているからリサイタルの花など

そのタイミングで出向くことは殆どなかったから“送る”ことが多かった。

送り状は確かに彼の名前しか書いてない。

私が全部手配してるんだから、間違いない。

そういえばお礼も言われたことがないと思った。

なるほどね、送り状に書いてないからね・・・と言い聞かせて家に戻ったものの

フツフツと怒りが湧いてくる。

 

連名で書けばよかったわけ?

大体今まで何もしなかった自分の息子が

結婚して急に気の利いた贈り物をすると思う?

嫁でしょ? どう考えたって嫁のおかげでしょ?

貴重な休みに時間もお金も使ってたのに、何なの?

私も働いてるのよ? 息子だけのお金じゃないのよ!

私にだって家族いるのよ?

結婚したら倍以上の数の手配してるのよ!大変なんだから!

あ~腹立つ! 今までの苦労がバカバカしい!

心の中で怒鳴り散らした。

 

当時はネット通販もまだまだで

毎月のようにある記念日に間に合うように、何が喜んでもらえるかと日々アンテナを張り

お店が開いている時間に仕事が終わらなければ

週末に溜まった家事を後回しにしてお店をまわっていたのに・・・

 

気持ちが収まらず私はそれ以降、贈り物をやめた。

不平等になると思って、私の実家も準ずることにした。

今までは毎年新しくなる手帳に記念日を書き写してきたが

私が言わない限り、彼は記念日を全く気にしていなかった。

そうか、私が勝手にやっていたんだから

勝手にやめてもいいよね、と彼に宣言することはしなかった。

「そういえば来週、お父さんの誕生日だ」等と

彼が自発的に思い出したときだけ用意するようにした。

 

毎月のようにあった贈り物の手配がなくなり

私の負担は一気に減った。時間も、お金も、肩の荷が下りた気もした。

でも何か引っかかる。

やめたのは大人げない?

私の家族にもやめてしまったから・・・?

ふと記念日に気づいてそんなモヤモヤを思い出しては

忙しさで忘れる、を繰り返していた。

 

 

今は私の弟二人が結婚して甥姪が5人できた。

誕生日やクリスマスなど子供たちに何かする理由はいくらでもあるが

あの時以来、切羽詰まった贈り物の手配はやめている。

記念日・金額・数に関係なく、あの子にいいなと思えるモノに出会ったら

買ってストックしておき、帰省の度に直接渡す。

きっと喜ぶだろうと彼らの笑顔が想像できたものを選んだ段階で満足。

反応が悪かったらクイズにハズレたような心地良さ。

一緒に遊んで今の興味を情報収集し、次回のヒントにする。

ストックが無いときは「今日はプレゼントしたいものが無かったから無いよ~」と正直に言う。

昔の私ならどう思われるかザワザワして無理してでも何か買っただろう。

甥姪以外も同じように、記念日を前後しても私のペースで贈りたい時に贈っている。

 

贈り物やめた後のモヤモヤ。

しばらくして義母が悪いんじゃない、私が原因だったことに気づいたのだ。

 

理由1つめ。

贈り物を忘れることは社会人として失格、という強い観念を持っていたから必死だった。

 

2つめ。贈り物の目的は相手への感謝やお祝いではなく、感謝される私になることだった。

“息子だけからの贈り物”と思った義母には私の頭の中が伝わっていたのかもしれない。

 

3つめ。忙しくて心身ともに疲れた状態に気づかず、

余裕がない中で判断・行動を自身にさせていた。

 

4つめ。本当の私は気が向かない、

タイミングが合わないことは一切したくない人だったのに無理をしていた。

そんなものはなくても礼儀、という考え方もあるが

残念ながら“常識を持ち合わせている風”のフリをしてきたらしい。

 

良かれと必死でやっていたはずなのに振り返るとこんな感じ。

義母に私の頭の中が伝わって、アノ言葉が出たのでは・・・と今となっては思う。

 

これと似たような、いつまでも心に引っかかる出来事をいくつも体験して辿り着いたのは

“私の存在は周りに悪い影響を与える”という思い込みを持っており

周りの目や常識が行動指針で私が何を感じ、

どうしたいかは必要ない、と思っているということだった。

正解は外にあり、自分は間違い。

保身のために、自分を振り回す。結局、保身になってないし。

これじゃあ、何をしてもしんどいよ、つまんないよ。

どうりで誰も私自身にも心を許せないはずだ。

初めて私自身のことを知った気がした。

 

でも思い込みはなかなかしぶとい。

手放したと思っても長年連れ添っていたからか、また無意識に受けいれてしまう。

この思い込みで小さな私を守ってきたんだろう。

幼い頃の体験や思考で培った分身みたいなものだとは想像できる。

これからは無理に突き放そうとするのはやめて、

今まで寄り添ってくれたことに感謝し、この分身を安心させられる私になりたい。

(書き手 ジャスミン)