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日々是味方
「見方を変えれば味方に変わる!」
日々の生活の何気ないことから学べることは沢山あります。
それは一見ちょっとしたことであっても自分自身のアンテナに引っかかるかどうかではないでしょうか?
日々生活する中での気づきや思いについて、時に熱く語ります。
お弁当ごっこ。
会社を辞めて一番したかったことは
何も考えない、真っ新な時間を持つこと、
ちゃんと出汁をとったお味噌汁とガスで炊いたご飯を食べることだった。
どれだけ疲弊していたんだろう、と思う。
昼はコンビニのおにぎりとスープ類ばかりだったような。
午後からの作業を考えながら食べていると味がしなかったし、
サッサと済ませて机に伏せて10分でも寝たかった。
朝も眠くてコーヒーを飲むのがやっとで、夜は用意する体力が無い。
長年のおざなりな食生活にうんざりし、
(後で私にとっては幸せや感謝を感じる素が食事だと気づく)
家事と両立している人とできない自分を比べて
毎晩のように責めてたなぁ。
それも遠い記憶になりつつある。
陶器の釜で炊くご飯は当たり前となった。
今日明日で食べるご飯は
“おひつ”代わりの曲げわっぱのお弁当箱に入れる。
余分な水分が吸収されモチモチ、杉の香りがご飯に移って
炊き立てよりこのほうが好きだ。
おひつを考えた人って凄いわ。
最近、テレビでフリーランスの女性が朝食をつくる際、
自宅で食べる昼食も同時に用意する、というのをやっていた。
昨晩や朝の残りのおかずと
ご飯をお弁当箱に詰めた簡単なものだったが目からウロコだった。
これなら無駄なく、食事の支度が減るし、
しかも曲げわっぱに詰めたら最高じゃないの!
ってことで時々、お弁当ごっこをするようになった。
誰に見せるわけでもなく、あるもので済ませるから気楽だし
この正円にどう詰めようかと考えるのも面白い。
曲げわっぱにご飯を詰めて海苔や佃煮を入れるくらいなら
会社員のときでも出来たかもなぁ。
おかずやお味噌汁はコンビニで調達したとしても
少しは心豊かなお昼になったかも。
あの時知っていればなぁ・・・
お弁当は記憶のタイムマシンでは?と思う。
食べていると、お弁当つながりのずーっと奥の記憶が引っ張り出される。
高校生のときのお弁当のおかずや、
家族旅行の駅弁、初めて食べたほか弁・・・
今日は高校の修学旅行を思い出した。
3年生の途中で同級生がひとり暮らしか、下宿だったかを始めた。
親が転勤で一足先に千葉へ、彼女は同じ高校で卒業する、と残った。
修学旅行の初日のお昼はお弁当持参と言われたが
彼女が用意できないことに何となく気づき、母にそれを話した。
どんな風に話したか全く思い出せない。
実は両親と心置きなく話せるようになったのはここ10年も経っていないから
今となってはよく言ったな、と思う。
今は無き青函連絡船に向かう列車で
向かいに座る彼女にお弁当を渡す。喜んだ様子を見てホッとする。
捨てられる透明のパックにおかずと確か輪切りのオレンジが入っていた。
それとおにぎり2つ。
そうだ、おにぎりの中身、何がいいか聞いてと母に言われたんだ。
皆それぞれのお弁当なのに
二人で同じものを食べているのがなんだか楽しい。
そして母が引き受けてくれたことを誇らしく感じる。
少しずつ蘇ってきた。
(書き手 ジャスミン)